愛に還る病 ― わたしを目覚めさせた痛みの贈り物
病気をきっかけに、がんばり続けてきた人生と静かに向き合い直す女性の物語。
身体の不調や不安の奥にあった「本当の自分の声」と再会し、癒しと生き直しの意味を見つけていく、心の目覚めの記録。
プロローグ
あるとき、わたしは病気になった。
それは突然だったけれど、
本当は――
ずっと前から、からだは何かを伝えようとしていたのかもしれない。
疲れやすくなったのは、
働きすぎたからではなく、
もう“ちがう生き方に進んでいいよ”という合図だったのかもしれない。
涙が出なくなったのは、
わたしが強くなったからではなく、
ほんとうは、感じることをあきらめてしまっただけだったのかもしれない。
今、あの頃をふり返って思う。
病気になったことで、
“失ったもの”はたくさんあった。
でも、
わたしが本当に大切にしたかったものは――
その先に、待っていた。
もし今、あなたが苦しみの中にいるなら。
この物語のなかで出会う言葉のどれかが、
あなたの中に眠っていた何かを、そっと思い出させてくれますように。
これは、
病気によって終わった人生ではなく、
愛によって目覚めていった、もうひとつの“はじまり”の物語。
第1章 静かに崩れた日常
あの日も、いつもの朝だった。
目覚ましの音。カーテンの隙間から差し込む光。
少し疲れが残る身体を起こし、ぼんやりと鏡を見つめた。
「まあ、こんなものよね」
自分にそう呟いて、薄く笑ってみせる。
ほんのわずかだけれど、頬の下に影が見える気がして、ファンデーションを重ねた。
職場では、いつも通りに丁寧な受け答え。
誰かが困っていれば、さっとフォローに入る。
空気を読むことに慣れすぎていて、自分の感情はずっと後回しになっていた。
「あなたって、ほんと優しいよね」
そう言われるたびに、どこか遠くで違和感がざわめいた。
――午後、会社近くのクリニックで受けた検査。
ただの健康診断の延長。そう思っていた。
でも、検査後の静まり返った空気が、いつもと違った。
担当医は、申し訳なさそうな顔でこう切り出した。
「…すぐに、総合病院に行かれたほうがいいと思います」
「何か、数値が…?」
「…詳しくは、精密検査を受けてからでないと断言できませんが…」
数日後に届いた結果は――
“末期のがん”だった。
詳しく言えば、手術は難しく、治療しても予後は…という言葉が続いた。
医師は何度も言葉を選びながら説明してくれたけれど、
わたしの耳には、遠くの方で誰かが話しているようにしか聞こえなかった。
帰り道、冬の空気が頬に刺さる。
歩いても歩いても、どこにも「実感」は落ちていなかった。
なぜ、わたしが――?
そんな問いすら浮かんでこないほど、
わたしの内側は、静かすぎるほど静まり返っていた。
ただ、ひとつだけ確かに思ったことがある。
「こんなにずっと頑張ってきたのに、
わたし、何を得たんだろう?」
その問いは、
わたし自身の中から浮かび上がったというより、
どこか“もっと奥”から、忘れていた声が戻ってきたような感覚だった。
その夜、鏡を見ると、
そこには、がんばってきた顔があった。
誰にも迷惑をかけず、
求められた役割をこなし、
優しく、丁寧に生きてきた「わたし」。
でも――
その目には、
“わたし自身”の気配が、まったく映っていなかった。
第2章 問いだけが、胸に残った
精密検査の結果を聞いたあの日から、
時間の流れが歪んでいるように感じていた。
病院で聞いた言葉はどれも現実のものとは思えず、
道を歩いていても、
スーパーで野菜を手に取っても、
まるで別の世界に置き去りにされたような感覚だけがあった。
「治療を始めるなら、早いほうがいいですね」
「このステージですと…回復の可能性は…」
医師の声は冷静だった。
でも、あのときのわたしには、
その“冷静”が、妙に残酷に感じられた。
帰り道、コンビニの前に立ち止まる。
お弁当コーナーをぼんやり眺めながら思った。
「あとどれくらい、こんなふうに普通に立っていられるんだろう…」
バスの揺れに身を任せていると、
ふいに胸の奥が、ざわざわと騒ぎはじめた。
(なんのために、生きてきたんだろう)
言葉にならない感情が、
うまく処理できない問いとなって、胸の奥を叩いてくる。
いい子でいた。
人の期待に応えてきた。
がんばって、迷惑をかけないようにしてきた。
でも、
その先にあったのが“末期がん”だとしたら、
いったいこの努力は、何だったのだろう。
家に帰っても、テレビの音が遠かった。
ふと、スマホに手が伸びた。
何を検索したのか、もう覚えていない。
ただ、何かに導かれるように画面を眺めているうちに――
ひとつのサイトがふと目に留まった。
『癒しのオンライン神社』
―― 本当の自分に還るための、静かな場所
(…オンライン神社?)
正直、最初は少しだけ身構えた。
「スピリチュアル系…?」「怪しい系かも…」
そんな声が、頭の中に浮かんだ。
でも、ページ全体から伝わってくる静けさとあたたかさに、
わたしの中の“もっと奥の部分”が反応していた。
画面に表示されていた、ある言葉。
「いま、あなたがどんな状況にあっても、
その奥には、“静かに開こうとしている扉”があります。」
「苦しみは、あなたを壊すためではありません。
本当のあなたを呼び戻すために、
その姿を借りているだけかもしれません。」
読みながら、わたしの胸の奥に、
じんわりとあたたかいものが滲みはじめた。
そして、ページの片隅にあった一行。
「個人セッションをご希望の方はこちら」
(…こんなの受けるわけない)
そう思いながらも、
なぜかその夜、
わたしはそのページをブックマークしていた。
「癒しって、こういうことかもしれない」
わけもなく、そんな言葉がふと浮かんだ。
涙が出るほどの感動ではなかった。
でも、
それまで張り詰めていた“何か”が、
静かに、ほんの少しだけゆるんだ。
「癒されたい」なんて思っていなかった。
「がんが治りますように」なんて、願う余裕すらなかった。
でもその日――
わたしの中で、たしかに“問いが目を覚ました”。
「もしかして――
この病気には、意味があるの?」
第3章 静かな再会
予約したことすら、よく覚えていなかった。
ただ、「何かに導かれるように」画面をタップして、
気づいたときには、返信メールが届いていた。
(本当に受けるんだ…わたしが、こんなものを)
でも、キャンセルする気にはならなかった。
理由は、やっぱりうまく言えなかった。
約束の時間、パソコンの前で静かに座った。
画面が開いた瞬間、
そこには、思っていたよりも“普通”の人がいた。
やさしい笑顔。
何も押しつけてこない雰囲気。
(…よかった、怖くない)
そう思った。
「こんにちは」
「こんにちは」――
声はとても穏やかで、
“何かを変えよう”とする気配も、“正そう”とする力もなかった。
ただ、やさしくこちらの言葉を待ってくれている感じがした。
「最近、こういう診断を受けて…」
「治療は提案されたけれど、なんとなく、気が進まなくて…」
わたしは、少しずつ話しはじめた。
それは“説明”というより、むしろ“こぼれ出た感情”に近かった。
時折、相づちや小さな笑いが返ってくる。
どこかで、「こんなふうに話したの、初めてかもしれない」と気づいた。
やがて、その人は静かに姿勢を整えた。
「ありがとうございます。
少し、静かな時間に入っていきましょうね。
高次の意識とつながって、
今、あなたの魂が望んでいることを感じてみますね。」
それだけだった。
でも、その言葉が終わると、
空気がすっと変わった。
まるで、
もう一人のわたし――あるいは、もっと大きな何かが、
この空間に静かに“在って”くれているようだった。
その人が話し始めた内容は、
わたしが“言葉にできなかったこと”だった。
思い出せなかった感情。
口にすることすら許されなかった想い。
でもそれが、ひとつひとつ、やさしく光に包まれるように現れてきた。
わたしは、ほとんど言葉を返さなかった。
ただ静かに、胸の奥がゆるみ、
こわばっていた“何か”が溶けていくのを感じていた。
そして最後、
誘導瞑想が始まった。
音も少なく、言葉も少なかったけれど、
自分という存在が“ただここに在ること”に、初めて安心できた。
誰かにわかってもらおうとするのではなく、
「わたし自身が、わたしの声を聴いてあげる」――
そんな感覚だった。
セッションが終わったあと、
何も劇的なことが起きたわけではなかった。
でも、
呼吸が深くなっていた。
胸が、ひとつ広がったように感じられた。
「これが癒しなんだ」
そう思った。
その夜、
わたしは不思議と、ぐっすり眠れた。
それがどれほど久しぶりのことだったか、
もう思い出せないくらいだった。
第4章 やわらかく、景色が変わっていた
セッションの翌朝、
目が覚めた瞬間の静けさに、少しだけ戸惑った。
いつもなら、
起きた瞬間に“何かをしなきゃ”という焦りがあったのに、
その日は、
ただ布団の中で呼吸しているだけで、苦しくなかった。
カーテン越しの光が、
いつもよりやわらかく見えた。
朝の支度。
歯を磨いて、顔を洗って、服を選ぶ。
ただそれだけのことが、
「義務」じゃなく、「感覚」に近かった。
わたし、生きてるんだなって。
それだけのことが、ちゃんと感じられた。
通勤途中、電車の窓から空を見上げた。
冬の空は少しにごっていて、
決して明るいとは言えなかったけれど――
なんだか、その曇り空すら、きれいだなと思った。
(これも、わたしの見る世界なんだな…)
会社の同僚と何気なく交わした会話も、
以前より少し、距離を取って眺めている自分がいた。
前なら、
“ちゃんと返さなきゃ”“場の空気を守らなきゃ”と反応していたところで、
ふと心が静かに後ろに下がっているのを感じた。
「わたしが全部、抱えなくてもいい」
その感覚が、
自分の内側にほんの少し根を下ろし始めていた。
その日の帰り道、
スーパーのレジで財布を探して少しもたついたとき、
後ろの人に「すみません」と言った。
いつもなら、申し訳なさと自己嫌悪が入り混じっていたはずなのに、
そのときは――
「ただのすみません」に、自分を責める成分が含まれていなかった」
それが、
ものすごく不思議で、でもどこか誇らしかった。
家に帰って、湯船に浸かる。
あたたかさが身体にしみていく感覚が、
いつもよりずっと深かった。
目を閉じると、
セッションのときに聴いた“沈黙”の気配が、
まだわたしのまわりに残っているような気がした。
わたしは、
病気になって、なにもかも壊れたと思っていた。
でも今、
壊れたその場所から、
まったく新しい風が吹いているのを感じていた。
身体の奥にまだ痛みはある。
病気が治ったわけじゃない。
でも――
それでも、
今日という一日を「生きてよかった」と、心から思えていた。
それが、
この人生ではじめてのことだったのかもしれない。
第5章 静かな奇跡のはじまり
ある日の午後、病院の待合室で呼吸が乱れた。
前の診察が長引いていて、時間はすでに30分以上の遅れ。
いつもなら、心の中でイライラを繰り返しながら、
「このあと予定があるのに」「どうして時間通りにできないの」
そんな責める声で自分をぎゅうぎゅう締めていた。
でもこの日、
わたしはただ、膝の上に置いた手を見ていた。
手の甲の血管。
爪の色。
指の節。
(…こんなふうに、自分の手をまじまじと見たの、いつぶりだろう)
ふとそう思った。
診察室に呼ばれ、主治医がカルテをめくる。
「思っていたより、進行は落ち着いていますね」
「お身体、いかがですか?」
「…調子は、悪くないです」
わたしは、正直にそう答えた。
医師は少し不思議そうな顔をしたけれど、
それ以上のことは聞かなかった。
わたしも何も説明しなかった。
ただ、ほんとうにそう思えたのだ。
帰り道、地下鉄のホームで、
向かい側のベンチに小さな子どもが座っていた。
泣きそうな顔をして、母親の方をじっと見ていた。
母親は少し先のベンチで、スマホを見ている。
わたしはただ、それを見ていた。
数秒後、母親がふと気づいて、隣に戻ってきた。
子どもは何も言わず、母の腕にすっともたれかかった。
その瞬間、
なぜか、涙がにじんだ。
「何もしてないのに、癒される瞬間がある」
そんなことを思った。
電車の窓に映る自分の顔が、
少しやわらかく見えた。
口角が、自然とゆるんでいる。
目も、ほんの少しだけ光っている。
「わたし、いま少しだけ…
自分を愛してるかもしれない」
はじめて、そんな言葉が、心の中で生まれた。
家に帰り、スマホを見ると、
セッション後に何も送っていなかったあの「癒しのオンライン神社」から、
小さなメッセージが届いていた。
「あなたの中に、静かに起きていることを信じてください。
変化は、外ではなく、あなたの内から始まります。」
わたしは画面を閉じた。
返信も、シェアも、何もしなかった。
でも、
その言葉が、体の奥にそっと灯るようなあたたかさをくれた。
もしかしたら――
これこそが、“奇跡”なのかもしれない。
第6章 わたしというお祈り
桜が咲きはじめていた。
ベランダから見える小さな公園に、
薄い桃色がふわりと風に揺れているのが見えた。
季節が巡っていた。
ただそれだけのことが、どうしようもなく愛おしかった。
がんが治ったわけじゃない。
通院も、検査も、今も続いている。
でも、
「もうすぐ死ぬかもしれない」というあの恐怖は、
不思議と、どこかへ溶けてしまっていた。
ある日、ふと昔のわたしが夢に出てきた。
子どものころのわたし。
泣きたいのに、泣かないふりをしていた。
笑いたいのに、気を使って表情を閉じていた。
その子が、夢の中でこう言った。
「やっと来てくれたんだね」
目が覚めたとき、
わたしの心の奥で、何かが確かに「還った」と思えた。
病気を治すことばかりが、癒しじゃない。
どんなに症状があっても、
「わたしでいていい」と思えることが、
本当の意味での癒しなのだと、やっとわかった。
何かを目指さなくてもいい。
証明しなくても、与えなくてもいい。
今日を生きて、
風の音を聴き、
桜が咲いていることに心が動けば、それだけで充分だった。
画面の奥に、
癒しのオンライン神社のトップページがまた表示されていた。
以前と同じ、変わらない言葉があった。
「この世界には、静かに癒されていく場所がある」
―― それは、あなた自身の内側に。
その言葉を見たとき、
わたしは画面に向かって、そっと微笑んだ。
わたしは、
「癒される誰か」じゃない。
「癒す力を思い出した存在」なのだ。
夜、眠る前の部屋。
静かで、音がない。
でも、その静けさの中に、
わたしという命が、小さくあたたかく灯っていた。
誰かに何かを証明しなくても、
誰にも認められなくても、
もう、これでいいと思えた。
このわたしで、生きていく。
それが――
「祈り」と呼べるものかもしれない。
世界はまだ、不安と矛盾に満ちている。
でも、
わたしの中にある静けさは、
誰にも奪えないものになっていた。
病気は、わたしを壊すためではなかった。
わたしを――
ほんとうの愛へ還すためにやってきた、“贈り物”だったのだ。
あとがき 癒しは、愛を思い出す旅
この物語を、
どんな気持ちで読み終えてくださったでしょうか。
もし、あなたの胸の奥で、
ほんの少しでもあたたかな“なにか”が動いたなら、
それこそが、わたしがこの物語に込めた願いです。
病気や不安、苦しみは、
わたしたちから「何かを奪うもの」ではありません。
それは、
「ほんとうのわたしに還る」ための扉だった――
いま、そう思えるようになりました。
癒しとは、
ただ傷をなかったことにすることでも、
過去を忘れることでもありません。
どんな自分であっても、
そのまま、ここにいていいと“自分が自分を抱きしめる”こと。
それが、
この物語を通して伝えたかった“本当の癒し”のかたちです。
そして――
病気の症状は、
ある日ふっと消えていくこともあれば、
そのまま静かに共に在りつづけることもあります。
でもどちらであっても、
あなたの人生はちゃんと“進んでいる”ということ。
それだけは、どうか忘れないでください。
人生に遅すぎる目覚めなど、ありません。
たとえ今、何かが壊れているように見えても――
その壊れた隙間からしか、光が差し込まないこともあるのです。
あなたが、あなた自身と再会するその日まで。
この物語の灯が、
静かにそばにあり続けてくれることを願っています。
そして、もしこの物語が心に響いたなら、
癒しを必要としている誰かに、そっと届けていただけたら嬉しいです。
あなたの大切な時間で、ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。